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ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実

Why The Beatles’ ‘Abbey Road’ Album Was Streets Ahead Of Its Time

1969年9月26日以前は、世界のほとんどの人々が、ロンドンのアビイ・ロードにEMIが所有するレコーディング・スタジオがあることなど全く知らずにいた。あるいは、ザ・ビートルズの熱狂的なファンの中には、彼らの動向を追うニュース記事の中でその名前を目にしたことがあったかもしれないが、その頃はまだ、ほとんどのファンにとって彼らの音楽がどこでレコーディングされたのかは、さほど重要ではなかった。皮肉にも、『Abbey Road』と名付けられたアルバムに収録されている全曲がアビイ・ロード・スタジオで録音されたわけではないのだが、そのタイトルは実際に、アビイ・ロードの通りそのものや、そこにかかる横断歩道、そしてアビイ・ロード・スタジオにちなんで付けられたものである。

ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実

ただ結局のところ、この記事の著者を含む多くのファンにとって、このアルバムはバンドの壮大なキャリアにおける絶頂期だったと言える。内部の対立や苦難の渦中、バンドが崩壊していく過程に全てのレコーディングが行われていたという事実にも関わらずだ。

1969年9月26日以前は、世界のほとんどの人々が、ロンドンのアビイ・ロードにEMIが所有するレコーディング・スタジオがあることなど全く知らずにいた。あるいは、ザ・ビートルズの熱狂的なファンの中には、彼らの動向を追うニュース記事の中でその名前を目にしたことがあったかもしれないが、その頃はまだ、ほとんどのファンにとって彼らの音楽がどこでレコーディングされたのかは、さほど重要ではなかった。皮肉にも、『Abbey Road』と名付けられたアルバムに収録されている全曲がアビイ・ロード・スタジオで録音されたわけではないのだが、そのタイトルは実際に、アビイ・ロードの通りそのものや、そこにかかる横断歩道、そしてアビイ・ロード・スタジオにちなんで付けられたものである。

ただ結局のところ、この記事の著者を含む多くのファンにとって、このアルバムはバンドの壮大なキャリアにおける絶頂期だったと言える。内部の対立や苦難の渦中、バンドが崩壊していく過程に全てのレコーディングが行われていたという事実にも関わらずだ。



“天然ガスのようなアルバム”
アルバム『Abbey Road』はザ・ビートルズの11作目のスタジオ・アルバムであり、バンドにとって最後のレコーディング作品でもある(12作目のスタジオ・アルバム『Let It Be』のほとんどの曲は、この作品の前にレコーディングされていた)。発売当時、ローリング・ストーン誌は、このアルバムを「複雑というより難解である」と批判し、批評家のニック・コーンは「個々の曲自体は全く平凡である」とニューヨーク・タイムズ紙に書き、ガーディアン紙はこのアルバムを「大したことのない作品」と呼び、デトロイト・フリー・プレスは「独創性を期待していたが、いいアルバムである」と評した。

一方で、評論家のクリス・ウェルチは全く反対の評価を下し、メロディ・メイカー誌にこう書いている。「実のところ、このニュー・アルバムは、主張や深い意味、象徴性といったものが全く存在しない天然産のガスのような作品である」。同様にレコード・ミラー誌も、アルバム『Abbey Road』について、「バンドの過去の3作にひけをとらないくらい素晴らしいアルバム」として熱っぽく評価した。歴史もまた、この作品には寛容で、いまだ多くのビートルズ・ファンが一番好きなアルバムとして挙げているのだ。

「何が“Abbey Road”を傑作と言わしめるのか」
では、一体何がアルバム『Abbey Road』を傑作と言わしめているのだろうか? 音楽的ビジョンの広大さ、バンドいう集合体としての音楽的創造力の絶大なスケール、そしてザ・ビートルズが解散に近づいていた時期ならではの、あらゆる意味での大胆さであろう。

そして、そこにはジョージ・ハリスンによる「Here Comes the Sun」と「Something」という傑作が収録され、この2曲はザ・ビートルズ史上最高のレコーディング作品としてランク付けされている。uDiscoverの元記者であるマーティン・チルトンは、デイリー・テレグラフ紙に「シンガロングせずにはいられない曲」と記していたが、全くその通りである。

「Something」は崇高且つ完璧なラヴ・ソングで、ジョン・レノンがこのアルバムの中で1番好きな曲として挙げている。フランク・シナトラは、自身のコンサートでこの曲を歌う前に、よく「この世で最も素晴らしいラヴ・ソング」として紹介していた(一方で謝って、彼が一番好きなのはレノン=マッカートニー作品とも呼んでいたが)。

「じっくりと楽しみたい作品」
15分間の「メドレー」で構成されているサイド2は、ポール・マッカートニーの「You Never Give Me Your Money」で始まる。そこからジョン・レノンが作曲し、ジョン、ポール、ジョージによる非の打ちどころのないハーモニーをフィーチャーした「Sun King」へと美しく移行していく。そこにポール・マッカートニーによる4連作、「She Came In Through The Bathroom Window」から美しい「Golden Slumbers」、「Carry That Weight」(‘You Never Give Me Your Money’が引用されている)へと流れ、最後は「The End」で幕を閉じる

残りの収録曲については、ファンや批評家の間で意見が分かれる点もあるが、このアルバムの持つパワーに議論の余地はなく、素晴らしい作品であることは明白であり、ジョン・レノンが手掛けた2曲のうちのひとつ「Come Together」は、どんなアルバムにも合う素晴らしいオープニング曲である。同様に、「I Want You (She’s So Heavy)」は、彼らが今まで到達したことのないような高くそびえ立つ場所へとバンドを連れて行った。

レコーディングの一部がアビイ・ロード・スタジオ以外の場所で行われた作品に、「Something」があるが、この曲のオーバーダブは、西ロンドンのバーンズにあるオリンピック・スタジオで録音されている。さらに、「I Want You (She’s So Heavy)」のリズム・トラックは、1969年2月にソーホーのウォーダー・ストリートにあるトライデント・スタジオで録音され、合わせられたものだ。アビイ・ロード・スタジオでの制作作業は同年8月まで続けられ(アルバム・カヴァー写真の撮影を敢行した8月8日のセッションを含む)、トライデント・スタジオで作られたオリジナルのテープに、新たな録音を重ねていった。そうしてアビイ・ロードで完成した楽曲は、2つのヴァージョンを組み合わせた全くの別ヴァージョンとなった。一方で、「You Never Give Me Your Money」のレコーディングは1969年5月にオリンピック・スタジオで始まり、同年7月と8月に行ったたくさんのセッションを経て、アビイ・ロードで完成を迎えた。

アルバム『Abbey Road』は個々の楽曲の集合体というよりも、ひとつの作品としてはるかに素晴らしく、ザ・ビートルズのどのアルバムよりも、長きにわたって賞賛されている作品なのである。決してランダムに再生していいとこ取りするようなアルバムではなく、1曲目の「Come Together」から始まり、ポール・マッカートニーが“可愛い素敵な女の子”について歌う最後の隠しトラック「Her Majesty」で笑顔を浮かべながら聴き終えるべき作品なのだ。


アルバム『Abbey Road』について知られざる10の事実
1. ジョージ・ハリスンが「Here Comes The Sun」を書き始めたのは、エリック・クラプトンの別荘の庭に座っていた時だった。

2. ザ・ビートルズの4人が最後に一緒にレコーディング・スタジオで過ごしたのは、アルバム『Abbey Road』を終えた1969年8月20日だった。

3. ジョージ・ハリスンによると、「Sun King」のギター・パートはフリートウッド・マックの大ヒット・シングル「Albatross」からインスパイアされたものである。

4. 「Maxwell’s Silver Hammer」の歌詞にある“パタフィジック(形而上学)”という言葉は、1907年に亡くなったフランス人前衛作家、アルフレッド・ジャリから引用されたもので、ポール・マッカートニーが“虚数解の科学”と定義していた彼の作品に興味を持ち、彼の晩年の作品から“パタフィジック”について知った。

5. 「Come Together」は、歌詞の中に“コカ・コーラ”が出てくるため、1969年、BBCは特定商品のコマーシャルに関する同局のポリシーに違反するとして、ラジオでの放送を禁止した。

6. リンゴ・スターによる「Octopus’s Garden」 は、彼がピーター・セラーズのヨットで地中海をセーリングしていた時に着想を得た。船長がリンゴ・スターに、タコは海底から石や光るものを集めて、自分たちの庭を作る習性があることを教えたそうだ。

7. ジョン・レノンによると、彼がヨーコ・オノにベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を逆引きコードで演奏してもらい、「Because」が出来上がったそうだ。完全にそうとは言えないまでも、確かにそれらは酷似している。

8. リンゴ・スターは、サイド2のメドレー構想は、必要にかられて生まれたものだと説明している。「ジョンとポールがいろんな破片を持っていたから、それを録音して、後から接合したんだ。そこにはたくさんの労力をかけたよ。僕個人としては、最後のセクションが1番良い出来だと思ってます」。ポールもまた「サイド2はオペラのような構成になって、結果的にいい意味で曲を削ぎ落とすことができました」と熱弁している。

9. 「She Came In Through the Bathroom Window」はApple Scruffs(アップルのオフィスの前で、彼らの出待ちをしていた熱狂的なファンの女の子たち)のひとりがポール・マッカートニーの自宅のバスルームの窓からよじ登って中に侵入したという事件からインスパイアされた曲である。彼女は他の女の子たちを家の中へと入れ、写真や衣装を盗ませたという。

10. 「Golden Slumbers」の歌詞は、トーマス・デッカーによる1603年の喜劇『Patient Grissel』の子守唄「Cradle Song」が基になっている。ポール・マッカートニーが、彼の義姉妹であるルースがリヴァプールの父の家にあるピアノに置き忘れた楽譜を見たのことがきっかけだった。

Written by Richard Havers

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