幸せの黄色い水仙~ポールの黄色いピンバッチ

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幸せの黄色い水仙~ポールの黄色いピンバッチ

2017年4月29日のPaul McCartneyのホテル出待ちと東京ドーム公演を先ず振り返りましょう。

ホテルからの出待ちは…嬉し悲しや2017年4月29日編

Paul McCartney 1on1 in JAPAN 4月29日 Yellow Flower


当時はポールのジャケットに付けられているピンバッチの黄色い花が何であるかが、よく分からないままブログに掲載していました…その後…一ヶ月を経過して、tebichi様よりブートについて連絡を頂きました。

T&J boot Paul McCartney 20170529 ジャケット

tebichi様より教えて頂いたのですが、このブート T&Jはくくり的にはテーパーと言われる人のようで、録音、編集してDimezoonなどの共有サイトにアップしてシェアする人たちだそうです。(知りませんでした。)
ところで、下の画像を見て、「あっ!」と思いました…「私の画像が使われている…」


T&J boot Paul McCartney 20170529 photo

ん…と思いましたが、この画像で更に「あっ!!」と思いました…なんと、あのポールの黄色い花のピンバッチがクローズアップされているではないか!この黄色い花は…その背景は…それを掲載致します。その話の前にこの方について振り返りましょう。

マリー・キュリー夫人 Marja(Marie) Curie (1867-1934)
ポーランド生まれフランスの女性物理学者・化学者。政治運動に参加して故国を追われ、フランスに亡命。
物理学者ベクレルの影響を受け、ウラン鉱石の精製からラジウム、ポロニウムを発見し、原子核の自然崩壊および放射性同位元素の存在を実証。原子(核)物理学の最初の基礎を作るとともに、文字通り今世紀の原子力・核の時代を開く。
夫ピエール・キュリー、ベクレルとともに、第一回物理学賞。後、金属(単体)ラジウムの単離に成功、ノーベル化学賞をも受賞。


放射線の危険性は当時は知られていなかったため、その後開発された放射線防護策はとられていなかった。
マリは放射性同位体を含む試験管をポケットに入れて運んでいた程である。マリは長年の放射線被曝によりさまざまな病気にかかり(白内障によってほぼ失明したことを含む)、ついには死に至った…


1903年のキュリー夫妻のノーベル賞受賞後,ラジウム研究所としてソルボンヌ大学(パリ大学)の一角に、1921年マリー・キュリーとクラウディアス・リガード(fr)によりキュリー研究所が設立された。
現在もあるパリ5区のキュリー研究所(キュリー夫妻の志を受け継いで医学の研究が行われている高等教育機関)が中心になって、がん撲滅キャンペーンを行っています。


春一番に花を咲かせるラッパ水仙はイギリスでは希望の象徴です。キュリー研究所が「ガン撲滅運動のシンボル」として黄色い水仙を使っていたこと、に由来して、Marie Curie Cancer Care(マリー・キュリー・キャンサー・ケア)はラッパ水仙を団体のシンボルとして用いています。このチャリティーはホスピスの経営と、末期がん患者や難病を患う人々が自宅で余生を過ごすための手助けをしています。

そして、このキャンペーン、キューリー夫人が眠るパンテオン前の広場には黄色い水仙が咲き誇る庭が設けられ、道往く人々に募金を呼びかけています。

Great Daffodil Appeal2

Great Daffodil Appeal1

Great Daffodil Appeal3

Great Daffodil Appeal4



ロンドンの広場に現れた「光り輝く庭」の正体とは?

この活動は「Great Daffodil Appeal」という募金活動の一環でもあるそうです。
マリー・キュリー大使のフランキー・ブリッジさんが、左胸に付けているスイセンのピンバッチを買うことによって寄付できます。こうして集められたお金は、この団体の9つのホスピスや、ご家庭で末期の病気と闘っている人々のために利用されます。
欧米では水仙は「希望」の象徴であり、ガン患者をサポートする団体の多くで、春の訪れと共に咲くこの水仙が「希望」のシンボルとして募金活動のキャンペーンに用いられています。





そのような活動をポールも支援しているのですね…
日本に来て、この活動については言葉で発言する事はありませんでしたが、こうしてポールの活動や姿勢で、このような事を知り、支援して行く事も我々ファンの役目だと思います。

Forever Linda
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