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ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと

ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと

今日は本来なら、「コットンバックの内封用紙には何が書いてある?第二弾」の予定でしたが、その前に興味深い記事がありましたので、記録の為に掲載致します。

Rolling Stone日本版「ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと」

ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15の事

2016年8月は、Revolver発売50周年になりますので、リボルバーが見直されたり、話題になっています。その中で、このボリュームのある記事!ネットで見ると、ページ数が多い。それなら、全文をブログに掲載した方が読みやすいかな?と思い掲載します。
長文ですが、「リボルバー」を聴きながら、じっくり読んで下さい。


ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと



ひどいダジャレ、ドラッグ、カモメの声、その他さまざまのことが、この1966年の傑作にいかにして織り込まれたのか。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がビートルズの文化面での頂点を達成し、俗に言う"サマー・オブ・ラヴ"に湧いた1967年の西側社会の時代精神に事実上見直しを迫ったのに対し、その前作、1966年8月5日にリリースされた『リボルバー』は、ビートルズ最大の音楽的転換点であった。ビートルズがこれほど品質の高い楽曲集を世に問うたことはこれまでになかったし、ポール・マッカートニーの作曲がこれほど冴(さ)えていたこともなかった。ジョン・レノンも全然悪くなかった。およそロックバンドがここまでどっぷりとスタジオ技術の魔法に取り組んだこともなかった。単純な話、これまでにどんな音楽のバンドも、サウンド制作の考え方そのものを変えようと、これほどさまざまのことをしながらも、完全な楽しさと徹底的な芸術性を保ったことなどなかったのだ。

「サージェント・ペパーズ」は制作や編集の面で数多くの伝説を生み出した。その点で『リボルバー』は常に後れを取ってきていたが、この不朽のアルバムが50歳になるに際して、それは本当に事実だったのか、再検討しておく価値がある。そんなわけで、今でも衝撃的なこの名作についてあなたが知らないであろう15のことをまとめてみた。



1. ジョン・レノンは『イエロー・サブマリン』で危うくく死にかけていた

1966年6月1日の水曜日、ビートルズは、マリアンヌ・フェイスフル、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジョージ・ハリスンの妻パティら血気盛んな連中とともに、『イエロー・サブマリン』に効果音を載せるため、アビイ・ロードのスタジオ2に集まっていた。

『The Goon Show』(訳注:1950年代に人気を博した、英国BBCラジオのコメディ番組)の大ファンだった頃から、ジョン・レノンは常にお笑いに特別な関心を持っていた。

気分はすっかり潜水艦長のレノンは、まずはうがいをしながら歌おうとして失敗、次に『リボルバー』のエンジニア、ジェフ・エメリックに、水中で歌わせてくれないかと無理を言っていた。

エメリックは後にこう書いている。「ジョージ・マーティンは何とかレノンを諦めさせようとしていたが、私は代案を思いついていた。マイクを水に沈めて、ジョンに歌わせてみてはどうだろう?」

水没から保護するため、コンドームでしっかりとマイクを包んだところ、レノンが皮肉を言った。「マイクが妊娠したら困るだろ」。そしてマイクをミルクのカートンの中に落としたのだった。

音が遠すぎたため、この作戦は却下されたのだが、この時のレノンがどれほど幸運だったか、当時は誰も気がつかなかった。エメリックが振り返る。「数年たってから気がついた。当時使っていたマイクはファンタム電源を使っていた。つまり、マイク自体に実際に電気が通じている状態なんだ。英国では240ヴォルト方式を使っているから、レノンを始めそこにいた全員があっさり感電死することだってありえたんだ。そして私は、歴史上初めて、スタジオでクライアントを殺害したレコーディング・エンジニアとして名を残すことになってもおかしくなかったんだ」




2. ビートルズ・サウンドの秘密兵器の使用は『リボルバー』から始まった

『リボルバー』の音のシチューに主な原材料があるとすれば、それはビートルズとジョージ・マーティンが作り出した、事情通がアーティフィシャル・ダブル・トラッキング(ADT)と呼ぶテクニックだった。例えば『トゥモロー・ネバー・ノウズ』で、レノンの声がまるで地球外のもののようになるところで聞くことができる。

「ADTとは、音のイメージをわずかに遅らせたり早めたりすることで、二重に聞こえるというものだ」とジョージ・マーティンは『ビートルズアンソロジー』で語っている。「写真に例えれば、ネガが2つあるようなものだ。1枚のネガを正確に焼けば、写真が1枚だけできる。音のイメージも1つだけなら、1つのイメージにしかならない。すかし、ほんの数ミリセカンド、8から9ミリセカンドほどずらしてやれば、こもった電話のような音質が得られるんだ」

レノンはもっとあっさり表現している。「僕らは2重のつなぎ目と呼んでるけどね」




3. 『タックスマン』のギター・ソロはポール・マッカートニーが弾(ひ)いていた

『リボルバー』以前は、ビートルズの楽曲のギターソロと言えば、レノンによる一部の例外を除き(例えば『ロング・トール・サリー』の最初のソロなど)、およそジョージ・ハリスンが担当していた。

ハリソンはまた、初期のビートルズのアルバムで作者やシンガーとしてのクレジットは限定的なものにすぎなかったが、『リボルバー』では大きく露出することとなった。このアルバムには彼の楽曲が3曲収録されている。特にオープニングナンバーの『タックスマン』 には、ハリがあってハイエナジーで、このアルバムの雰囲気を決定づけている。ところがハリスンは、このファズの効いた名人芸のソロを演奏していなかったのだ。

「この曲のセッションはいささか緊張感のあるものとなった」とエメリックは回顧する。「ジョージがギターソロの演奏にかなり苦労してね、実際テープを2分の1倍速で聴き直すと、まともな演奏ができていなかった。ジョージが苦戦するのを何時間か待っていたら、ポールとジョージ・マーティンが相当イライラし始めてね。だって結局これってハリスンの曲だし、これにこんなに時間をかけるつもりは誰にもなかったんだ。」

手厳しい指摘だが、結局そこでマッカートニーが登場し、60年代で最良の1つに数えられているギターソロを演奏したのだった。ハリスンのギタリストとしての足跡は、『アイム・オンリー・スリーピング』の逆回転録音と、マッカートニーの楽曲『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』でのR&Bスタイルのブレイクにより深く刻まれている。




4. 『グッド・デイ・サンシャイン』でマッカートニーは、ザ・ラヴィン・スプーンフルを模倣しようとしていた

ポール・マッカートニーは当時、このバンドの文化の目利き役として、舞台作品やアヴァンギャルド音楽、クラシックから、ラヴィン・スプーンフルといった現代作品までを吸収していた。

「『グッド・デイ・サンシャイン』では、僕は『デイドリーム』のような曲を書こうとしたんだ」とマッカートニーは語っている。スプーンフルのこの曲は地味なバラードで、『サンシャイン』の勢いや活気は見られないのだが、こうした影響は、ビートルズがいかに他人の音楽的なアイデアのかけらを採り上げて、完全に自分たちのものに作り上げてしまうかの好例になっている。この曲には「伝統的な、ほとんどトラッド・ジャズ的な感覚がある」とマッカートニーは付け加えている。「彼らの曲ではこれが一番のお気に入りなんだよ」




5. アルバムカバーのデザインはマンフレッド・マンのメンバーが担当していた

小さなビートルズを白黒でサイケデリックにブリコラージュした『リボルバー』の有名なカバーアートのデザインを担当したのはクラウス・フォアマンである。ハンブルグ時代にビートルズと偶然出会い、彼らにアストリッド・キルヒャーを紹介した人物だ。キルヒャーは後に、ビートルズのオリジナルのベーシスト、スチュアート・サトクリフの妻となる。フォアマンは楽器の演奏はできなかったが、英国に移住し、マンフレッド・マンに加入していた。

70年代のヤン・S・ウェナーとのインタヴューでレノンは次のように質問していた。「クラウス・フォアマンが描いてくれたあの白いアルバムって、『ラバー・ソウル』の前だったっけ、後だったっけ?」。これはレノンが、ビートルズの傑作アルバムのタイトルは忘れてしまっても、フォアマンの作品はちゃんと覚えていることを物語っているのである。

「人の耳からものが出てきているようなところが気に入っていたし、スケールの大きな作品でありつつ、とても細かいコラージュが施されていて、僕らは気に入っていたよ」とマッカートニーは語っている。「それに彼は僕らのことをよく知っていたから、とても美しく描いてくれている。光栄なことだよ」




6. リンゴ・スターのひどいダジャレがアルバム・タイトルとして採用される寸前だった

『リボルバー』というタイトルは銃から来ていると思っている? それは間違いである。このアルバムはある時点では『After Geography』(アフター・ジオグラフィ)になるところだったのだ。これは、ザ・ローリング・ストーンズのアルバム『アフターマス』にひっかけたリンゴ・スターのひどいダジャレで、ロック史の金字塔が危うく高校の授業ジョークになってしまうところだったのだ(訳注:Geography = 地理、Math = 数学)。

『Beatles on Safari』、『Four Sides of the Circle』、『Fat Man and Bobby and Abracadabra』といったタイトル候補もあった。特に最後のタイトルは、すでに他の人に使用されていることが判明するまで、有力候補として残っていた。

最終的なタイトルについては、このアルバムがすること、つまり”回転”(revolve)から決定された。まったく、ビートルズほどダジャレ好きなバンドはかつてなかった。後年まで不評を買うようなタイトルになることを危うく回避したのだった。




7. マッカートニーは、レノンの起床を待っている間に『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』を書きあげた

ポール・マッカートニーは『リボルバー』の作曲セッションでケンウッドにあるジョン・レノンのアパートを訪れたが、もう昼すぎだったにもかかわらず、レノンはまだ寝ていた、

「僕はプールサイドのサンデッキの1つに、ギターを持って座っていた」とマッカートニーはバリー・マイルス著『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』で明かしている。ほどなく、彼は『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』を生み出す。この曲はレノンお気に入りのビートルズ・ソングの1つとなった。

「歌詞の最後の部分はジョンが書いたのだったかもしれない」とマッカートニーは続ける。「それでさ、スタジオでこの曲を歌った時には、実はマリアンヌ・フェイスフルのように歌ってやろうと思っていたんだよ。これは誰も知らないことだ」




8. 『シー・セッド・シー・セッド』はもともと『ヒー・セッド・ヒー・セッド』だった

レノンが死について書いたズキズキくるこの曲は、『シー・セッド・シー・セッド』になる前には『ヒー・セッド・ヒー・セッド』と呼ばれていた。というのも、文字通り彼が言ったことについての曲だからである。彼というのはピーター・フォンダのことで、フォンダはLSDでトリップしながら、あの世を経験した話をして、レノンを完全にびびらせていたのだった。

問題の夜は1965年8月24日、ビートルズは北米ツアー中の休日で、ビヴァリーヒルズでフォンダやザ・バーズとパーティーに興じていた。

フォンダはローリングストーン誌にこう書いている。「彼らは机の下に隠れている女の子を見つけたりして、雰囲気は完全にぶっ飛んでいた。ビリヤード場に窓から忍び込むと、LSDを決めたリンゴはキューを逆さまに持ってビリヤードをしていた」

子どもの頃フォンダは、銃で撃たれて死にかけたことがあった。彼はその傷跡をビートルズのメンバーに見せると言い張った。ジョージ・ハリスンはウンザリし、レノンはもう黙ってくれと言っていた。ケンウッドに戻ったレノンは、1人でアコースティックギターで繰り返し次のように歌った曲を録音した。「彼は言った。死がどんなものか、僕は知っているよ。そして僕は言った・・・」。この曲は『リボルバー』で最後に録音された楽曲になった。




9. 『エリナー・リグビー』に登場するマッケンジー神父は、マッカートニー神父になっていたかもしれなかった

ジョン・レノンの親友にピート・ショットンがいる。レノンはリヴァプール時代からショットンと一緒に育ち、後にスーパーマーケットまで買い与え、作曲のセッションにまで招き入れる間柄だった。ある時ケンウッドでそんな機会があった。ビートルズメンバーはみな、恋人を連れてやってきていた。

夕食が済むと、男たちはレノンの自宅スタジオに向かった。レノンはみんなが見ていたテレビ番組に退屈しきっていた。「そんなクソみたいなものは放っておけよ」とレノンが言っていたと、ショットンは著書『The Beatles, Lennon and Me』で語っている。

「いつものように自分のギターを持ちこんでいたポール・マッカートニーは、それを取り出すとかき鳴らし始めた」。ポールはみんなに新曲を聞かせた。それがたまたま、『エリナー・リグビー』だったのだ。

曲に出てくる牧師のもともとの名前は、マッカートニー神父だった。「ちょっと待てよ、ポール」とショットンが口を挟んだ。「これだとみんなが、キミの気の毒なお父さんの話だと思うんじゃないか。リヴァプールにたった1人で取り残されて、靴下の穴を縫い合わせているあのお父さんをさ」。もっともだった。みんなが口々に代わりの神父の名前を言い出したが、最後はショットンの提案したマッケンジー神父という名前と、この神父が夫に先立たれたリグビー夫人のために葬式を担当するという背景アイデアが採用されることとなった。

「お前にオレたちのやろうとしていることが分かるわけがないだろう」とレノンが評論すると、ショットンは「ファックユー、ジョン」と答えたのだった。




10. マッカートニーは『フォー・ノー・ワン』のフレンチ・ホルン奏者と一触即発だった

ビートルズの活動に参加することの悲しい側面に、ビートルズのアルバムに1度でも登場したなら、他に何をしても目立たなくなってしまう可能性があるということがある。ビートルズファンは、マッカートニーの名作『フォー・ノー・ワン』でフレンチ・ホルンを吹いていたアラン・シヴィルの名前を知っている。しかし、この音楽家の実績はそれにとどまらない。

シヴィルはクラシックの世界では十分に認められており、最終的には大英帝国勲位(OBE)を授与されている。後に『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』のオーケストラ演奏のクライマックスにも登場しているが、本来は特にモーツァルト作品のマスターである。そしてシヴィルは、危うくポール・マッカートニーと衝突寸前となった人物でもある。

「ポールは、アラン・シヴィルがどれほど素晴らしい仕事をしてくれたのか、分かっていなかった」とジョージ・マーティンは語っている。「完璧な演奏の後、ポールがこう言ったんだ。”オーケー、もうちょっとうまくできるよね、ねえアラン?”。アランは爆発寸前だった。もちろん、彼はやり直しはしなかったし、その時我々が聴いた演奏を、今あなたが聞いているわけだ」

マーク・ルーイスン著『ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版』で語るシヴィルは、如才ない大人のコメントを残している。「私にとっては、ある1日の仕事にすぎないよ。実際にはあの日3つ目のセッションだったんだがね。まあ、非常に楽しかったよ」。そうでしょうとも。




11. 『タックスマン』のカウントは楽曲の1か月後に録音されていた

『リボルバー』のセッションには奇妙な日付がたくさん見られる。ハリスンの『タックスマン』の録音は4月20日に始まり、4テイクが録音されたのだが、アルバムの最初で聞かれる「ワン、トゥー、スリー、フォー」という有名なカウントはこの4テイクのどれにも収録されていない。この『タックスマン』の頭のカウントも、実はスタジオで再修正が施されたものの1つである。ハリスンがこの乾いたウィットのあるイントロを提供したのは5月16日とされている。実際にオフマイクでこの曲のカウントを取ったのは、マッカートニーである。



12. このアルバムで特徴的なドラムサウンドは、あの4つ首セーターのせいだった

『リボルバー』の印象的なサウンドの特徴の中には、リンゴ・スターのドラムキットから放出されたものもある。レノンとマッカートニーがさまざまな曲作りのアイデアに没頭している間、時間つぶしで忙しかったにもかかわらず、スターは常にサーヴィスを提供しようとし、ドラムに対する比類なき複合的アプローチを展開する準備ができていたのだ。

彼にはある意味、仲間もいた。「僕はバスドラム用のマイクを、これまでになかったくらい、ドラムのうんと近くに動かした」とエンジニアのエメリックは語っている。「昔のビートルズの写真で、首が4つあるウールのプルオーヴァーを着ているヤツがあるだろ。あれをドラムの中に詰め込んで、音を殺したんだ。そうしておいて、その音をFairchild 600リミッター/コンプレッサーにぶちこんだんだ」。こうして、『リボルバー』時代のおなじみのドラムサウンドが誕生したのだ。




13. ジョージ・ハリスンはタイトルを考えるのがあまりにも下手だった

作曲家として脚光を浴び始めたジョージ・ハリスンは、自分の作品をどう呼ぶかのをほとんど考えることができなかった。『リボルバー』収録の3曲のうち、『ラヴ・ユー・トゥ』(これもビートルズ特有の言葉遊び、あるいは、おそらくは文法ミス)はもともと、林檎(りんご)の品種名から『グラニー・スミス』と名付けられていたのだ。曲そのものとは何の関係もない。

セッションテープに残された記録によると、後に『アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー』となる曲のタイトルをジョージ・マーティンに尋ねられたハリスンには、何のアイデアもなかった。こういう機会をけして逃さないジョン・レノンは、『グラニー・スミス・パート2ではどうだい。キミは曲にタイトルを付けたことが本当にないな!』とすかさず突っ込みを入れている。




14. 『ドクター・ロバート』は実在した

『ドクター・ロバート』は、ビートルズが公然とドラッグを扱った最初の楽曲であり、モデルの医者はニューヨークでクリニックを経営していたロバート・フレイマンであるとされる。レノンはデヴィッド・シェフの著書『ジョンとヨーコ ラストインタビュー』で、「ツアー中に薬を運ぶのは僕の役目だった」と語っている。薬なら、グレイト・ホワイト・ファーザーとも呼ばれたフレイマンのような医者からもらえるという想定であった。

しかし、ビートルズ初のドラッグをオープンに扱ったこの曲は、ポール・マッカートニーの『メニー・イヤーズ』によると、パロディなのであった。

「ドラッグで身体を治してくれる空想上のドクター。これはジョンと僕とで面白いと思って考え出したアイデアで、冗談なんだよ。僕の知る限り、僕らは2人とも、その手の薬を入手するのに医者のところに行ったことはないと思う。ただ、そういうことは流行っていたし、今でも流行っているよ。血を入れ替えて、ヴィタミン注射をしたら、気分が良くなるんだろ」




15. 『トゥモロー・ネバー・ノウズ』の鳥の鳴き声は、ポール・マッカートニーのサウンド・ラボラトリーで制作された

『リボルバー』の最初のセッションの時点では、この曲の仮題は『Mark I.』だった、ビートルズの伝承によると、検討されていた題名は『The Void』(無効、排泄)だった。ジェフ・エメリックの記憶によると、レノンはよりよいヴォーカルのサウンドを見つけるのに夢中で、ブレーンストーミングの末に奇妙な録音方法を考え出したのだった。

「レノンは、スタジオの天井の真ん中から自分をつり下げ、床の真ん中にマイクを設置し、そうして自分を押してくれ、自分はゆれながら歌うから、と提案した」

マッカートニーは自伝『メニー・イヤーズ』で、別の作曲セッションを振り返っている。「ジョンが自分のギターを取り出して、『トゥモロー・ネバー・ノウズ』を作り始めた。コードはたった1種類だった。というのも、当時僕らはインドの音楽に興味を持っていたからだ。僕らはみんなで座ってインドのアルバムを聴いたものだったが、アルバムが終わると”コードが一度も変わらなかったことに気がついたか?"なんて言い合ってたんだ。”畜生、全部Eじゃないか。なんて斬新なんだ"」

今にして思えばこの曲は純粋にレノンっぽいけれど、実際には共同作業で作られた。曲の頭の特徴的なコードはハリスンの仕事だ。一方マッカートニーは例によって繰り返しの王様だ。

『トゥモロー・ネバー・ノウズ』で聞かれる、あの興奮して地獄から飛び出してきたような鶏の鳴き声は、マッカートニーが作ったテープを切り刻んで作ったものだ。テープにはディストーションを効かせたギターやベース、ワイングラスがぶつかり合う音などが収録されていた。それらをスタジオの5台のテープマシンで再生し、フェーダーを駆使したのだ。

コントロール・ルームでは、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックが「ここでカモメの声!」と叫んでいたのだろう。こうして人類の鼓膜の歴史に存在しなかった音風景が、世界に放たれたのであった。

これほどまでにリボルバーっぽいことってあるだろうか。



以上になります・・・長い文章でしたね…「リボルバー」聴き終えましたか?
50年経っても、語られるアルバムがいくつもあるビートルズの作品は素晴らしいですね。

該当の記事は見つかりませんでした。

6 Comments

tetsu says..."Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
リボルバー、50年ですか?
私の大好きなアルバムの一つです。
私が知らないこと15以上かな?
と思いながら一つ一つ読むうちにそのメロディーが蘇ってきます
(歌はへたですが)
 当時が懐かしく思い出されます、当時高校生だったのかと今更ながら年をとったことを強く感じてしまいました。
懐かしさのあまりレコードの保管をしてあるケースを取り出し探してみましたが

・・・?・・?

  ない!どうして?何処に?

 伝説のブッチャーカバーと共に何枚が不明なのかも解りません・・・
息子です、犯人は!
生まれた時からビートルズを聞いていたので大のファンでしたので持ち出していたのです。
いつかは俺の引き継ぐ遺産だといいながら・・・
思いでを蘇らせて頂いたこと本当に有難うございました。
2016.08.24 07:51 | URL | #- [edit]
lightnews says..."tetsu様 Re: Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
tetsu様 リボルバーへの想い出コメント、ありがとうございます。
人は年を取っても、アルバムは変わりませんが…何処かに行ってしまうのですね…
ブッチャーカバーと共に…何処かに行ってしまうのは悲しい事ですね。
私のレコード、CDやグッズの遺産については、家族の者は誰も興味を示しません。
その内、オークション行きか…それを悲しむべきか楽しむべきか…
2016.08.24 20:46 | URL | #- [edit]
haru says..."Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
リボルバーは(なぜかベスト盤に収録されている曲が少なかったからか?)耳にしたのは後になってしまいましたが、今ではたぶん一番好きなアルバムです。

間違えなく「音楽の世界遺産」です。

ラバーソウルは音楽としては素晴らしいけど実験性は何か足らない(当時はそれでもすごい実験的でしたが)サージェットペパーズは実験性かつ芸術的だけど、音楽として聞くと疲れて楽しめないことがある(贅沢なこと言っていますが)、の真ん中のアルバムだけあって、リボルバーは音楽性、芸術性ともにとてもバランスがいいと思います。(あくまでも個人の感想です)

後にポールが「ヤア!ブロードストリート」で何曲もカバーしていたのも(それもほぼ原曲通りに)興味深いです。

このアルバムからエンジニアがジェフエマリックに変わり、大変意欲的な録音がされて、音の変化が著しいです。

今回のエピソード、ジェフエマリックの著書などでも書かれていることが結構ありましたが、こうやって整理すると面白いですね。

リボルバーは特にモノラル録音だと、よりバランスがよく、なぜかステレオ版よりも深みを感じられるアルバムです。
2016.08.24 21:24 | URL | #kKgNjozQ [edit]
lightnews says..."haru様  Re: Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
haru様 リボルバーへの総括的なコメント、ありがとうございます。
音楽性、芸術性、実験性、どれを取ってもイイですね。
そして、楽しめます。
最近、アマゾンプライムで聞く機会が多いのですが、今度、CDでモノをじっくり聞き直します。
2016.08.24 22:48 | URL | #- [edit]
KK says..."Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
管理人さま
長文の翻訳ありがとうございました。
知らない事実も次々あって、興味深い記事でした。記事を読みながらリボルバーの本編とアウトテイク数枚を聞いておりました。
ラバーソウルから本格的にレコーディングに注力し、110時間を費やしましたが、このアルバムでは280時間だったそうです。メイキングを聞いていくと色々なアイディアが豊富にあふれ、楽曲もいずれも素晴らしい。いけない方面の影響もあると聞きますが、彼ら自身の想像力と才能に圧倒されます。
武道館来日コンサート直前にレコーディングを終え、日本でアセテート盤を聞きながら曲順を検討していたらしいですね。コンサートでは何も披露されなかったのは残念。

タックスマン、曲もよいですが、秀逸なベース以外にもポールが大車輪の活躍だったわけですね。アウトテイクではポールの曲はほぼ出来上がっていて、ジョンの曲は少しずつ加えて変化していくのがわかります。バードキャンシングのツインギターイントロはどうやって考えたのか。ネバーノウズの録音はジョンの指示で大変だったエピソードがありますが、これもすごい。

50年経って再評価されるべきアルバムで、こうしてディテールにわたってエピソードが出てくるのも金字塔を打ち立てた彼らならではですね。


 
2016.08.27 21:56 | URL | #VhNaT.1s [edit]
lightnews says..."KK様 Re: Re:ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと"
KK様 リボルバーについての掲載は長文でしたが、それに負けないくらいの長文のコメント、ありがとうございます。
リボルバーは長きに渡るレコーディングで、長年に渡り高評価を受けている事は素晴らしいですね。
私からのコメントは短めに…(笑)
2016.08.27 23:14 | URL | #- [edit]

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