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ゆめ参加NAブログ with Paul McCartney & NA Dreamers

ポール・マッカートニーから各地の観光まで個性的で気楽な内容、そして、ゆかいな仲間達(NA ドリーマーズ)が集う「ゆめ参加NAブログ」です。 コメント投稿をご希望の方は、ブログ画面の日付の下にある「吹き出し」マークの右側の数字をclickして下さい。自由参加のブログです。
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Paul McCartneyが所有していたMercedes-Benz ・メルセデス・ベンツ がオークションに出されています。

Paul McCartneyが所有していたMercedes-Benz ・メルセデス・ベンツ がオークションに出されています。

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY

ポール・マッカートニー卿が最初に所有していた1985年式のメルセデス・ベンツ500SELロリンザーが今週販売されています。

そう、彼の車を運転することができるのだ。Yes, you can drive his car

丹念に修復されたこのV8エンジンの4ドアは、 Nautical Blueの美しい色合いで仕上げられており、オンラインの自動車オークションサイト「Collecting Cars」で今販売されています。

Mercedes-Benz ・メルセデス・ベンツ (Paul McCartney所有)がオークションに出されています。


1985年6月14日に登録され、マッカートニーのMPLコミュニケーションズ社・McCartney’s MPL Communications companyを通じて購入されたこの車は、89年にサウジアラビアの王子に売却され、現在の保管者は12年間所有しています。

この右ハンドルの126シリーズのメルセデス・ベンツは普通の500SELではありませんが、チューニング会社Lorinser社の提供による微妙なアップグレードが施されています。

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY1

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY3

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY2

ボディキット、ローダウン化されたサスペンション、モデル専用のブーツリッドとボンネット、アロイ、ロリンザー社製ステアリングホイール。

このホイールは、最高の状態に戻されたブラックレザーで縁取られたインテリアの中に置かれており、中を覗くと4速オートマチックギアボックスが搭載されていることがわかります。

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY4

このメルセデスは、2010年にロリンザー社製の純正パーツを使用し、専門家が本来採用していたであろう技術を用いて、慎重かつ包括的にレストアされました。

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY7


この時にわずかな変更が加えられています。例えば、マッカートニーがパーセルシェルフマウントスピーカー・parcel shelf-mounted speakers を装着していたとされるが、現オーナーは目立たない現代的なシステムを求めていたため、これらを交換した。

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY5

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY6

今回のレストア後の走行距離は750マイルで、それ以前は101,000マイルほど楽しんでいたという。

新しいタイヤを着用しており、再委託サービスを受けているので意気揚々としています。

入札は9月27日(日)午後7時40分で終了です。
オークションは、こちらまで

1985 MERCEDES-BENZ 500 SEL LORINSER – EX-SIR PAUL MCCARTNEY
Paul McCartney’s Mercedes-Benz is for sale

現在、£16,350です。

Paul McCartney’s Mercedes-Benz is for sale~classic and sports car

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PaulMcCartneyのギターリスト・RustyAndersonは、Maccaがコロナ禍でほぼすべての楽器を演奏する新しいアルバムを完成させたと語った。

9月24日に、下記のようなブログを更新しました。


噂のニューアルバム...McCartney Ⅲ が12月に発売される!?

すると、本日・27日(現地時間26日)に、このような話が!!!



PaulMcCartneyのギターリスト・RustyAndersonは、Maccaがコロナ禍でほぼすべての楽器を演奏する新しいアルバムを完成させたと語った。

PaulMcCartneyのギターリスト・RustyAndersonは、Maccaがコロナ禍でほぼすべての楽器を演奏する新しいアルバムを完成させたと語った。1

ポール・マッカートニーのギタリスト、ラスティ・アンダーソンが本日、YouTubeのTone-Talkサイトを通じて行ったインタビューの中で、ニュー・アルバムは「ほぼ完成している」と語った。

PaulMcCartneyのギターリスト・RustyAndersonは、Maccaがコロナ禍でほぼすべての楽器を演奏する新しいアルバムを完成させたと語った。2

アンダーソンが確認したところによると、ポールはコロナウイルスのパンデミック前にバンドと協力して曲を作った事を確認していたが、検疫中は自分でやっていたという。



この事実は、彼が1970年と1980年に「McCartney」と「McCartney II」を単独で公開したときに実行したという考えを取り入れているため、McCartneyIIIにますます近づいています。

PaulMcCartneyのギターリスト・RustyAndersonは、Maccaがコロナ禍でほぼすべての楽器を演奏する新しいアルバムを完成させたと語った。

これまでのところ、MPLは情報を漏らしていない。10月にはさらなる計画が予定されており、12月11日にはリリースが予定されています。

ラスティの言葉を借りれば、次のアルバムの名前になった場合のマッカートニーⅢの計画が形になってきているということだ。

PAUL TIENE "CASI TERMINADO" EL NUEVO DISCO SEGÚN RUSTY ANDERSON



ワクワクしますネ。
喜びの声をブログ「拍手」でおねがいしますネ。(コロナ禍ですから・笑)

P.S
「公式発表は10月中旬に行われます。 」…って…噂があります。

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映画「ゴールデンスランバー」・竹内結子さん追悼

映画「ゴールデンスランバー」・竹内結子さん追悼

山本周五郎賞を受賞した伊坂幸太郎の逃亡劇を、「アヒルと鴨のコインロッカー」「フィッシュストーリー」でも伊坂作品の監督を務めた中村義洋が映画化。
主演に堺雅人、共演に竹内結子、吉岡秀隆、香川照之、大森南朋、柄本明ほか。
2010年製作/139分/G/日本・配給:東宝

映画「ゴールデンスランバー」・竹内結子さん追悼


主題歌:「Golden Slumbers」All performed by 斉藤和義
「映画の規模も大きいと聞いてたし、出演者の皆さんも豪華だし、責任重大だって感じましたね。サントラってずっとやってみたいと思ってたことだから、声をかけてもらったときは〈いいんですか!?〉って思ったけど、ぜひぜひってことでやらせていただきました。まだラフの段階の映像を観ながら、監督とイメージのすり合わせをしてスタジオに入り、ひとりでやってみたりバンドを集めてジャムってみたり。監督もレコーディングに立ち会ってくれて、その場でどんどん決まっていく感じですごくやりやすかったですね。なんせ、映像観ながら演奏するってのも初めてだったので、おもしろかったっす」。

また、主演の堺雅人は、斉藤の音楽について「ビートルズの原盤『Abby Road』では、メドレーのなかの橋渡しのような使われかたをしているこの曲ですが、斉藤さんの歌を聴いて、独立した曲として人を感動させる力を持っているのだなと思いました」と、語っている。



映画「ゴールデンスランバー」・竹内結子さん追悼1

『ゴールデンスランバー』竹内結子 単独インタビュー(本当は堺雅人さんとのインタビューですが、割愛させて頂きます。)

映画『アヒルと鴨のコインロッカー』『フィッシュストーリー』に続く、中村義洋監督による伊坂幸太郎原作の映画化作品『ゴールデンスランバー』が完成した。本作は、総理大臣暗殺事件の犯人に仕立て上げられた男が、大学時代の仲間や出会った人々に支えられながら、必死の逃亡劇を続けるサスペンスミステリー。主人公の青柳を演じた堺雅人と、青柳を助ける元恋人の晴子を演じた竹内結子が、作品への思いや撮影の裏話をじっくりと語ってくれた。

Q:完成した作品はどう思われましたか?
竹内:わたしは、「映画を観たな!」という感じがしました。すごく密度の濃い何かが心の中に残ったというか、映画として面白いものをすべて持っていると思ったんですよね。登場人物の何げない一言が、後々のストーリーに大きな影響を与えていたり、人を思う気持ちの強さとか、悲しいのに出てくるどうしようもない笑いとか、いろんな要素が含まれていて……。この作品で、中村監督の演出って好きだなと改めて思いました。

Q:本作は、伊坂さんと中村監督とのコンビ第3弾でもあります。ファンの期待もかなり大きいと思うのですが、プレッシャーはありませんでしたか?
竹内:そりゃありますよ! だって原作は本屋大賞に選ばれたベストセラーですし、すさまじい数の伊坂ファンが注目して下さってるんですもん。「いや、晴子は竹内じゃないっしょ!」と言われる怖さはありますよ。もちろん。

Q:原作も読ませていただきましたが、個人的には原作ファンもナットクの映画化作品だと思いました。
竹内:ありがとうございます! 伊坂さんが書かれた原作の世界と中村監督の作る世界、二つの「ゴールデンスランバー」があるとして、わたしが参加しているのは映画の方なんだからと開き直ってましたけど、内心は怖いんですよ。だから、原作ファンもナットクですとおっしゃっていただくと、シュワ~ッて身体の力が抜ける気がします(笑)。

Q:中村監督は、堺さんを「青柳のように助けたくなっちゃう人」とおっしゃっていたそうですが、竹内さんも青柳と堺さんには共通点を感じますか?
竹内:感じますね。堺さんって人当たりがよくて、どんな人のことも「ウェルカム!」って言ってくれそうな雰囲気があるんです。そう考えると、悪いたくらみもウェルカムにしてしまう青柳くんと、少しかぶるような気がするんですよね。

Q:お二人は、中村監督の『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演されているだけに、現場ではやりやすかったのではないですか?
竹内:それが、堺さんとは現場で会うことはほとんどなかったんですよ。わたしたちの共演は、ほとんど回想シーンでしたし。撮影はすべて仙台で行われたので、お互いに近くにいるのはわかっていたんですけど、監督が「そんなに簡単には会わせてやらないからな」ってニヤニヤしながらおっしゃっていて(笑)。それは監督の狙いだったみたいですね。

Q:いつもと変わらない日常の中で、晴子が青柳に突然別れを告げるシーンですね。
竹内:でもね、晴子はチョコレートをきっちり割ってくれる青柳くんがいやになったわけじゃないんです。シーマンに「小さくまとまるなよ」って言われたことだけが原因じゃないんです。すべてはトータルなことだと思うんですけど、恐ろしいシーンですよね。別れっていうのはこういうものなのかって、実感しちゃいますよ(笑)。

Q:「小さくまとまるなよ」といえば、自分が小さいなと思ったことはありますか?
竹内:あります! お腹が空いたら機嫌が悪くなるとか、家で見てはいけないものを見たら「ワアアア!」って叫んだりとか……(笑)。

竹内:それで、恐怖を紛らすために、いろいろな人にメールしてみたりとか(笑)。あとは、ちょっとガラの悪い知らない男の人に、「おい、竹内!」って小さなケンカを売られたとき、「何だよっ!」って言い返しちゃったことがあるんです。そしたら、その人は隠れて出てこなくなったんですけど(笑)、小さなケンカを買ってしまった自分が一番小さいな~って思って切なくなって、またみんなにメールしちゃいました(笑)!

Q:青柳の武器は信じることでした。お二人の役者としての武器は何だと思いますか?
竹内:いつも自分が幸運だと思うときって、周りがいい人なんですよね。だから、幸運に恵まれるタイミングがあるとすれば、それが自分の武器なのかもしれません。とはいえ、宝くじに当たったことはないし、打ち上げの抽選も当たらないんですけど(笑)。それから、デビューしてからずっと、いい共演者と巡り合ったとか、勉強させてもらったことはあっても、これをやらなきゃよかったと思う作品がなかったんです。ちょっと恥ずかしい思いをしたことはありますが、やって後悔したことがない。そこが自分の武器だと思います。

Q:では、これから映画を観る方にメッセージをお願いします。
竹内:誰かのことを「信じる」ことはできるかもしれないけど、その人が犯人ではないことを「知っている」と言い切れるところまで相手を思えるのって、そうそうできないと思うんです。わたしにはどれだけ「知っている」と言い切れる人がいるのかと、強く感じた作品です。皆さんにも、この映画からいろんなことを感じていただけたらうれしいです。

『ゴールデンスランバー』堺雅人、竹内結子 単独インタビュー~シネマ・トゥデイ



映画「ゴールデンスランバー」・竹内結子さん追悼2

突然の悲報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

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ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実

Why The Beatles’ ‘Abbey Road’ Album Was Streets Ahead Of Its Time

1969年9月26日以前は、世界のほとんどの人々が、ロンドンのアビイ・ロードにEMIが所有するレコーディング・スタジオがあることなど全く知らずにいた。あるいは、ザ・ビートルズの熱狂的なファンの中には、彼らの動向を追うニュース記事の中でその名前を目にしたことがあったかもしれないが、その頃はまだ、ほとんどのファンにとって彼らの音楽がどこでレコーディングされたのかは、さほど重要ではなかった。皮肉にも、『Abbey Road』と名付けられたアルバムに収録されている全曲がアビイ・ロード・スタジオで録音されたわけではないのだが、そのタイトルは実際に、アビイ・ロードの通りそのものや、そこにかかる横断歩道、そしてアビイ・ロード・スタジオにちなんで付けられたものである。

ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実

ただ結局のところ、この記事の著者を含む多くのファンにとって、このアルバムはバンドの壮大なキャリアにおける絶頂期だったと言える。内部の対立や苦難の渦中、バンドが崩壊していく過程に全てのレコーディングが行われていたという事実にも関わらずだ。

1969年9月26日以前は、世界のほとんどの人々が、ロンドンのアビイ・ロードにEMIが所有するレコーディング・スタジオがあることなど全く知らずにいた。あるいは、ザ・ビートルズの熱狂的なファンの中には、彼らの動向を追うニュース記事の中でその名前を目にしたことがあったかもしれないが、その頃はまだ、ほとんどのファンにとって彼らの音楽がどこでレコーディングされたのかは、さほど重要ではなかった。皮肉にも、『Abbey Road』と名付けられたアルバムに収録されている全曲がアビイ・ロード・スタジオで録音されたわけではないのだが、そのタイトルは実際に、アビイ・ロードの通りそのものや、そこにかかる横断歩道、そしてアビイ・ロード・スタジオにちなんで付けられたものである。

ただ結局のところ、この記事の著者を含む多くのファンにとって、このアルバムはバンドの壮大なキャリアにおける絶頂期だったと言える。内部の対立や苦難の渦中、バンドが崩壊していく過程に全てのレコーディングが行われていたという事実にも関わらずだ。



“天然ガスのようなアルバム”
アルバム『Abbey Road』はザ・ビートルズの11作目のスタジオ・アルバムであり、バンドにとって最後のレコーディング作品でもある(12作目のスタジオ・アルバム『Let It Be』のほとんどの曲は、この作品の前にレコーディングされていた)。発売当時、ローリング・ストーン誌は、このアルバムを「複雑というより難解である」と批判し、批評家のニック・コーンは「個々の曲自体は全く平凡である」とニューヨーク・タイムズ紙に書き、ガーディアン紙はこのアルバムを「大したことのない作品」と呼び、デトロイト・フリー・プレスは「独創性を期待していたが、いいアルバムである」と評した。

一方で、評論家のクリス・ウェルチは全く反対の評価を下し、メロディ・メイカー誌にこう書いている。「実のところ、このニュー・アルバムは、主張や深い意味、象徴性といったものが全く存在しない天然産のガスのような作品である」。同様にレコード・ミラー誌も、アルバム『Abbey Road』について、「バンドの過去の3作にひけをとらないくらい素晴らしいアルバム」として熱っぽく評価した。歴史もまた、この作品には寛容で、いまだ多くのビートルズ・ファンが一番好きなアルバムとして挙げているのだ。

「何が“Abbey Road”を傑作と言わしめるのか」
では、一体何がアルバム『Abbey Road』を傑作と言わしめているのだろうか? 音楽的ビジョンの広大さ、バンドいう集合体としての音楽的創造力の絶大なスケール、そしてザ・ビートルズが解散に近づいていた時期ならではの、あらゆる意味での大胆さであろう。

そして、そこにはジョージ・ハリスンによる「Here Comes the Sun」と「Something」という傑作が収録され、この2曲はザ・ビートルズ史上最高のレコーディング作品としてランク付けされている。uDiscoverの元記者であるマーティン・チルトンは、デイリー・テレグラフ紙に「シンガロングせずにはいられない曲」と記していたが、全くその通りである。

「Something」は崇高且つ完璧なラヴ・ソングで、ジョン・レノンがこのアルバムの中で1番好きな曲として挙げている。フランク・シナトラは、自身のコンサートでこの曲を歌う前に、よく「この世で最も素晴らしいラヴ・ソング」として紹介していた(一方で謝って、彼が一番好きなのはレノン=マッカートニー作品とも呼んでいたが)。

「じっくりと楽しみたい作品」
15分間の「メドレー」で構成されているサイド2は、ポール・マッカートニーの「You Never Give Me Your Money」で始まる。そこからジョン・レノンが作曲し、ジョン、ポール、ジョージによる非の打ちどころのないハーモニーをフィーチャーした「Sun King」へと美しく移行していく。そこにポール・マッカートニーによる4連作、「She Came In Through The Bathroom Window」から美しい「Golden Slumbers」、「Carry That Weight」(‘You Never Give Me Your Money’が引用されている)へと流れ、最後は「The End」で幕を閉じる

残りの収録曲については、ファンや批評家の間で意見が分かれる点もあるが、このアルバムの持つパワーに議論の余地はなく、素晴らしい作品であることは明白であり、ジョン・レノンが手掛けた2曲のうちのひとつ「Come Together」は、どんなアルバムにも合う素晴らしいオープニング曲である。同様に、「I Want You (She’s So Heavy)」は、彼らが今まで到達したことのないような高くそびえ立つ場所へとバンドを連れて行った。

レコーディングの一部がアビイ・ロード・スタジオ以外の場所で行われた作品に、「Something」があるが、この曲のオーバーダブは、西ロンドンのバーンズにあるオリンピック・スタジオで録音されている。さらに、「I Want You (She’s So Heavy)」のリズム・トラックは、1969年2月にソーホーのウォーダー・ストリートにあるトライデント・スタジオで録音され、合わせられたものだ。アビイ・ロード・スタジオでの制作作業は同年8月まで続けられ(アルバム・カヴァー写真の撮影を敢行した8月8日のセッションを含む)、トライデント・スタジオで作られたオリジナルのテープに、新たな録音を重ねていった。そうしてアビイ・ロードで完成した楽曲は、2つのヴァージョンを組み合わせた全くの別ヴァージョンとなった。一方で、「You Never Give Me Your Money」のレコーディングは1969年5月にオリンピック・スタジオで始まり、同年7月と8月に行ったたくさんのセッションを経て、アビイ・ロードで完成を迎えた。

アルバム『Abbey Road』は個々の楽曲の集合体というよりも、ひとつの作品としてはるかに素晴らしく、ザ・ビートルズのどのアルバムよりも、長きにわたって賞賛されている作品なのである。決してランダムに再生していいとこ取りするようなアルバムではなく、1曲目の「Come Together」から始まり、ポール・マッカートニーが“可愛い素敵な女の子”について歌う最後の隠しトラック「Her Majesty」で笑顔を浮かべながら聴き終えるべき作品なのだ。


アルバム『Abbey Road』について知られざる10の事実
1. ジョージ・ハリスンが「Here Comes The Sun」を書き始めたのは、エリック・クラプトンの別荘の庭に座っていた時だった。

2. ザ・ビートルズの4人が最後に一緒にレコーディング・スタジオで過ごしたのは、アルバム『Abbey Road』を終えた1969年8月20日だった。

3. ジョージ・ハリスンによると、「Sun King」のギター・パートはフリートウッド・マックの大ヒット・シングル「Albatross」からインスパイアされたものである。

4. 「Maxwell’s Silver Hammer」の歌詞にある“パタフィジック(形而上学)”という言葉は、1907年に亡くなったフランス人前衛作家、アルフレッド・ジャリから引用されたもので、ポール・マッカートニーが“虚数解の科学”と定義していた彼の作品に興味を持ち、彼の晩年の作品から“パタフィジック”について知った。

5. 「Come Together」は、歌詞の中に“コカ・コーラ”が出てくるため、1969年、BBCは特定商品のコマーシャルに関する同局のポリシーに違反するとして、ラジオでの放送を禁止した。

6. リンゴ・スターによる「Octopus’s Garden」 は、彼がピーター・セラーズのヨットで地中海をセーリングしていた時に着想を得た。船長がリンゴ・スターに、タコは海底から石や光るものを集めて、自分たちの庭を作る習性があることを教えたそうだ。

7. ジョン・レノンによると、彼がヨーコ・オノにベートーヴェンの「ピアノソナタ第14番」を逆引きコードで演奏してもらい、「Because」が出来上がったそうだ。完全にそうとは言えないまでも、確かにそれらは酷似している。

8. リンゴ・スターは、サイド2のメドレー構想は、必要にかられて生まれたものだと説明している。「ジョンとポールがいろんな破片を持っていたから、それを録音して、後から接合したんだ。そこにはたくさんの労力をかけたよ。僕個人としては、最後のセクションが1番良い出来だと思ってます」。ポールもまた「サイド2はオペラのような構成になって、結果的にいい意味で曲を削ぎ落とすことができました」と熱弁している。

9. 「She Came In Through the Bathroom Window」はApple Scruffs(アップルのオフィスの前で、彼らの出待ちをしていた熱狂的なファンの女の子たち)のひとりがポール・マッカートニーの自宅のバスルームの窓からよじ登って中に侵入したという事件からインスパイアされた曲である。彼女は他の女の子たちを家の中へと入れ、写真や衣装を盗ませたという。

10. 「Golden Slumbers」の歌詞は、トーマス・デッカーによる1603年の喜劇『Patient Grissel』の子守唄「Cradle Song」が基になっている。ポール・マッカートニーが、彼の義姉妹であるルースがリヴァプールの父の家にあるピアノに置き忘れた楽譜を見たのことがきっかけだった。

Written by Richard Havers

ビートルズの『Abbey Road』発売当時の賛否両論と傑作と評される理由、そして知られざる10の事実~udiscover music JP

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