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ゆめ参加NAブログ with Paul McCartney & NA Dreamers

ポール・マッカートニーから各地の観光まで個性的で気楽な内容、そして、ゆかいな仲間達(NA ドリーマーズ)が集う「ゆめ参加NAブログ」です。 コメント投稿をご希望の方は、ブログ画面の日付の下にある「吹き出し」マークの右側の数字をclickして下さい。自由参加のブログです。
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ジョン・レノン元愛人であるMay Fung Yee Pangのマンション、約5億7000万円で売りに出される

ジョンとオノ・ヨーコの秘書だった中国系米国人のメイ・パン

 ビートルズのメンバーだったジョン・レノンと元愛人が一時期暮らした米ニューヨーク市マンハッタンのマンションが今、550万ドル(約5億7000万円)で売りに出されていることが分かった。

ジョン・レノン元愛人であるMay Fung Yee Pangのマンション、約5億7000万円で売りに出される

 元愛人というのは、1970年代前半にジョンとオノ・ヨーコの秘書だった中国系米国人のメイ・パン。ジョンとヨーコは73年頃に1年半ほど別居していた時期があり、同時期にジョンとパンは同マンションで生活していた。

 売りに出されている物件はマンハッタンの東52丁目にあるマンションのペントハウス(最上階)で、イースト・リバーが見下ろせる広さ約372平米の部屋だ。ベッドルームが5つ、バスルームは4つあり、広いキッチンとダイニングルームは一体化されており、約20人がゆったり座ることができる広さだ。物件は階層に分かれており、販売前に全面改装されている。

May Fung Yee Pangのマンション、約5億7000万円で売りに出される

メイ・パンのマンション、約5億7000万円で売りに出される

May Fung Yee Pangのマンション、約5億7000万円で売出し

 ジョンとパンが同棲していた事実はよく知られており、書籍「ジョン・レノン ロストウィークエンド」にも記されている。ジョンはヨーコと共に過ごさなかった同時期を「失われた週末(ロストウィークエンド)」と呼んだことから、この言葉が有名になった。

 ただ、ジョンとヨーコはその後復縁し、75年には一人息子のショーンが誕生している。ジョンは80年、マーク・チャップマンに殺害された。

ジョン・レノン元愛人のマンション、約5億7000万円で売りに出される~ENCOUNT

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エルトン・ジョン、1974年にジョン・レノンと共演したマディソン・スクウェア・ガーデン公演を振り返る

ジョン・レノンはエルトン・ジョンとの賭けに負けて1974年にニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでエルトン・ジョンとライヴを行う前は「病気だった」ことが明らかになっている。

エルトン・ジョン、1974年にジョン・レノンと共演したマディソン・スクウェア・ガーデン公演を振り返る

エルトン・ジョンは1974年発表の『心の壁、愛の橋』にも参加しており、リード・シングル“Whatever Gets You Through The Night”ではピアノとバッキング・ヴォーカルを提供している。

“Whatever Gets You Through The Night”はジョン・レノンが気に入っていた曲ではなかったものの、エルトン・ジョンはこの曲をリリースするようにジョン・レノンを説得しており、もし全米シングル・チャートの1位になったら、一緒にパフォーマンスを行ってくれという賭けを持ちかけている。

“Whatever Gets You Through The Night”が全米1位を獲得して大ヒットになると、エルトン・ジョンは1974年11月にライヴを行う前はジョン・レノンが神経にまつわる病に苦しんでいたことを明かしている。

BBCラジオ2の『ジョン・レノン・アット・80』でショーン・レノンに対してエルトン・ジョンは1969年のトロント・ロックンロール・リバイバル・フェスティバル以降、ジョン・レノンはソロでのライヴを行っていなかったと説明している。

「彼は怖れていたんだ」とエルトン・ジョンはショーン・レノンに語っている。「公演の前、ジョン・レノンは身体的な病気を抱えていたんだ。身体的な病気をね」

エルトン・ジョンはライヴについて次のように振り返っている。「ステージに立った時には大丈夫だったんだ。だって、1979年のサンクスギビングにマディソン・スクウェア・ガーデンで彼が受け取った反応といったら……あんな音や叫びを聴いたことなかった。考えるだけで鳥肌が立つよ」

「多くの人が泣いて、涙が顔をつたって地面に落ちた。史上最大のバンドにいた4人のうちの1人がいたんだからね」

エルトン・ジョンは続けてジョン・レノンはステージに立つと「緊張することなく、前と同じように素晴らしい演奏をしていた」と説明している。

同じ番組の中でポール・マッカートニーは1980年に銃殺される前にジョン・レノンと和解できたことへの安堵を口にしている。

ポール・マッカートニーはショーン・レノンに次のように語っている。「いつもみんなに言っているんだけど、ザ・ビートルズのいざこざや口論、ビジネス面での違いなんかを経て、君の父親と再び仲良くなれたことは本当に嬉しくて、素晴らしかったことの一つなんだ」

先日、ジョン・レノンは眼鏡と学校に通っていた頃の通知表がオークションに出品されている。

ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!

エルトン・ジョン、1974年にジョン・レノンと共演したマディソン・スクウェア・ガーデン公演を振り返る~NME JAPAN

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未発表のビートルズ・ソング「JustFun」がジョン・レノンの80周年に再訪されます。

ポール・マッカートニー、曲を書いているときもジョン・レノンの声を聞く

ポール・マッカートニーとジョン・レノンが一緒に曲作りを学び始めたのは60年以上前のこと。

ティーンエイジャーのカップルのパートナーシップから始まったことは、20世紀の最も象徴的なポップミュージックグループへと成長しました。今日に至るまで、マッカートニーは今でもジョンの批評を思い浮かべずに曲を作ることはできないと言います。

ポール・マッカートニーとジョン・レノン 2

マッカは、10月9日のレノンの80歳の誕生日に先駆けて、今週の土曜日と日曜日、10月3日と4日の2部構成でBBCラジオ2とBBCサウンズで放送される予定のBBCラジオドキュメンタリー「John Lennon at 80」でこのことを明かしました。

「ビートルズが解散してからずっと、一緒に曲を書いたり、一緒にレコーディングしたりしていなかったから、それぞれが他の人のことを参考にしていたんだと思う」とマッカートニーはNMEに提供されたクリップの中でホストのショーン・オノ・レノンに語った。

「何かを書いているときに、『Oh, God, this is blood awful ああ、これは血の気が引く』と思ったんだ。」
"What would John say? ジョンは何て言うかな?"って思って... "そうだね "そうだな、君の言う通りだ "変えなきゃ 彼も似たようなことをしていたと 報告を受けている もし僕がレコードを出すと、彼はこう言うだろう。ポールよりも良いものを作ろうとしたんだ』と言っていたよ」と語った。

スペシャルでは、マッカートニーはジョンと初めて一緒に作った曲、1957年頃に二人で作った曲「Just Fun」を再訪しています。
「Just Fun 」については、1970年の映画『Let It Be』に収録されています。

1970年のドキュメンタリー映画『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督がカットした新バージョンが来年の夏に公開される予定です。生き残ったビートルズのマッカートニーとリンゴ・スターは、この映画を、バンドのキャリアの中で困難な時期を再構築し、彼らの違いにもかかわらず、ファブ・フォーがバンドの解散を通して友人であり続けたことを示したと繰り返し称賛しています。

ポール・マッカートニーは、ロンドン時間の午後9時から10時の間に10月3日と4日に放送されるBBCの特別番組「John Lennon at 80」の一部としてこの曲を再生します。

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NEWSビートルズ初期の姿を集めた新写真集が海外で発売。未公開の写真も初公開

これまで未公開の写真も多く収録されたザ・ビートルズ初期の姿を集めた新刊『Beatlemania: 1963-1965. Four Photographers on the Fab Four』が、ACC Art BooksとIconic Imagesからイギリスでは2020年9月7日、アメリカでは9月28日に出版された。この新刊にはノーマン・パーキンソン、テリー・オニール、マイケル・ウォード、デレク・ベイズの写真が収められている。(日本邦訳版発売は未定。海外版発売中 £26.79)

Beatlemania: Four Photographers on the Fab Four

Beatlemania: Four Photographers on the Fab Four1

ポップ史家のトニー・バレルによる解説も収録されたこの本は、忘れられない時代のユニークな視点を提供し、ビートルズが世界的な名声を獲得した時の知られざるイメージを明らかにしている。

NEWSビートルズ初期の姿を集めた新写真集が海外で発売。未公開の写真も初公開1

マイケル・ウォードの写真は、ビートルマニアがまだリバプールだけの現象だった頃、1962-63年の冬に故郷の街でプロモーション撮影をしていたビートルズの姿を捉えている。テリー・オニールは1963年にこのビートルズとの関係をスタート。ノーマン・パーキンソンは1963年の後半、ビートルズがセカンド・アルバムをレコーディングする際に撮影を行っている。

NEWSビートルズ初期の姿を集めた新写真集が海外で発売。未公開の写真も初公開2

写真家の中でも、特にデレク・ベイズの裏話は魅力的だ。トニー・バレルは本書籍の中でこう説明しているように

「5月9日の日曜日、ビートルズは映画“ヘルプ!”の撮影の一環として、ロンドンのメイフェア周辺を走るように指示されていた。デレク・ベイズという31歳の写真家は、その日にビートルズを撮影することになるとは知らなかった」

「デレク・ベイズはある時、外の通りで騒ぎがあったのを聞き、これは写真を撮るチャンスだと思いライカのカメラを持って外に出ることにした。当時のデレク・ベイズはタイム誌やライフ誌で、アルフレッド・アイゼンシュタット、ロバート・キャパ、ゴードン・パークスなどの写真家のアシスタントとして働いていた」

「後に彼は写真家として独立し、1963年の大列車強盗事件から北アイルランド問題、リチャード・バートン、ピーター・オトゥール、ウィンストン・チャーチル、ルイ・アームストロング、フランシス・ベーコン、ローレンス・スティーヴン・ラウリーなど、当時の著名人を撮影した」

「その日、ベイズがタイム&ライフのビルを出るときに遭遇したシーンは、嬉しい驚きだった。ビートルズは“ヘルプ!”の撮影中で、ニューボンド・ストリートをうろついて、通行人の注目を集めていた」

「デレク・ベイズが撮ったビートルズの写真は現像されたが、ベイズは来るべきタイミングが来た時のために保管しておくことにしたのだ」

NEWSビートルズ初期の姿を集めた新写真集が海外で発売。未公開の写真も初公開

1967年、ベイズはその年の6月24日にアビーロードのEMIスタジオで行われた「All You Need Is Love」の世界衛星放送を間近に控えた「Our World」の宣伝のために、大勢のカメラマンの中で再びビートルズの写真を撮影した。この写真も当時は掲載されることはなかったが、ベイズはその後も様々なニュース記事の撮影を続け、ルポルタージュ写真専門のアスペクト・ピクチャー・ライブラリーを設立している。

ビートルズ初期の姿を集めた新写真集が海外で発売。未公開の写真も初公開~udiscover.jp

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ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!

JOHN LENNON Windsor ウィンザー丸メガネペア GOLD TONE WINDSOR EYEGLASSES

ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!

ゴールドトーンのウィンザーアイグラス

ラウンドフレームとラップアラウンドテンプル、非処方レンズ、20世紀初頭、"Alfred Hawes & Son, Ltd. "とラベルのついたケースに収納されています。 ロンドン支店」と書かれたケースに入っています。

ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!1

バリー・ジャーレット、ドット・ジャーレットの息子、2015年5月20日付で署名された信憑性の書簡、2015年6月18日付で署名された法定宣言書

ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!2

ジョン・レノンのラウンド・ウィンザー眼鏡のペアがSotheby's でオークションに!3

ジョン・レノンの有名な丸いグラスの 初期のペアです。
ドロシー(「ドット」)・ジャーレットは、1964年にジョンとシンシア・レノンがケンウッドに到着してから1968年に別居するまで、ジョンとシンシア・レノンの家の家政婦でした。
当時40代前半の既婚女性であったドット・ジャーレットは、家の管理だけでなく、幼いジュリアンの世話もしていたため、家族、特にシンシアにとても親しみを持っていました。

ジョンは弟のために、このメガネをドットに贈りました。彼は1965年に「ジャスト・ウィリアム」をテーマにした仮装パーティーに行くことになっていた。子供の頃から「ジャスト・ウィリアム」の物語が大好きだったレノンは、このテーマの仮装パーティーに熱中していたことでしょう。

レノンはビートルズ初期の頃はコンタクトレンズを使用していましたが、1966年に公の場で丸いウィンザー眼鏡を使用するようになり、リチャード・レスターの映画『ハウ・アイ・ウォン・ザ・ウォー』でグリップウィード一等兵を演じていた時に使用しました。
このウィンザーの丸メガネは映画よりも前のものなので、彼が持っていた有名な丸メガネの最初のペアかもしれません。

30,000〜40,000ポンド相当と言われています。

JOHN LENNON | Pair of round Windsor spectacles

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